おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログも紹介しています。

user-pic
0
高杉晋作は藩命を受けて上海行きが決まったといいますが、幕府の船・千歳丸は経由地の長崎からなかなか出航せず、晋作は100日余りを長崎で過ごすハメになりました。その時、藩から貰った旅費を使って、上海での自由を得るべく同行した幕府の役人たちを伎楼などで接待したといいます。


近藤勇も場合は、公金で宴会しただけでなく、公金横領も犯しています。その金で馴染みの女を身受けしていたのです。そのために疑いのかかった勘定係の河合耆三郎(きさぶろう)は冤罪なのに斬首されてしまいました。

高杉晋作は英語を上達させるためにアメリカ人を訪ねて海外の話を聞いたり、長崎の貿易事情を見聞して長州藩に手紙を送ったり、上海情勢を藩主・毛利敬親に報告するなど、それ相応の役目を果たしていたので、咎められなかったのでしょう。
近藤勇の場合は、生死をかけて幕府のために戦い、治安維持にために激務を果たしているのだから、という気持ちがあったということ、また会津藩もそれを認めていたからだと思います。ただ、公金横領については、自分がトップだから咎めだてなどできるものか、という勝手な思考が働いていたのでしょう。

幕末という動乱期だからこそ、有能な人材が犯した行為は寛容だったかもしれません。これが泰平な時代であれば、激しい処罰が科せられたであろうし、現在なら懲戒免職の上、背任横領罪で刑務所行は確実でしょうね。

先に答えておられるおもしろきこともなき世をおもしろく。のブログも紹介していますが、野口英世も恩師の小林栄の夫人から選別に渡された渡航費用を使ってしまっています。それも当時の教員の給与の一年分を上回る200円という大金を、たった一晩で豪遊しまくって使い果たしています。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.bakudori.com/mt/mt-tb.cgi/10679

コメントする

カテゴリ

ウェブページ

このブログ記事について

このページは、freeplusが2010年1月24日 10:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「お茶通販といえば宇治園と思います。」です。

次のブログ記事は「 資格は現在では全く別物になっています。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。